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2017年06月09日

にっこり満足して、さようならが言えるか?

ここのところ、小さな悩みがチマチマと募っていた。

悩みは小さいのだが、自分の選んできた道は間違っていたのだろうかと、自信がなくなったり。

トゲがちくちく刺さるような、神経が少しピリピリ痛いような。
今までさほど感じたことのない感覚だった。


あと20年。
好きに生きることができる年月。
20年後は、覚悟しなければならない。
泣いてもわめいても、自分の人生の落とし前を自分でつけないと。
ぴったり20年後というわけではなく、多少の年月のズレはあるだろう。
だいたい大まかに見ている。
(不慮の事故などに遭わない、幸せコースの想定である)

鳥越俊太郎氏も、自分の残り人生を考えて、立候補したのだろう。
彼は、少しお疲れ気味であるし、あまり余裕を感じないし、やや無理をしているようなかんじである。
当選しないような気はするが、それでもいい。
たとえ落選しても、なにもしないでいることに耐えられない、今の政治に対する疑問、危惧、懸念、不安、不信、反発が、彼を動かしたのだろう。
生きるエネルギーである。
死ぬというのは、どう生きるかだ。


どう生きるか。

自分は超高齢なのに、日本人の平均寿命をとっくに超えている、いつ死んでもおかしくない年齢なのに、
人は生きることにしがみつく。
人間を含め、動物、生物は年を取ると自然に帰るものだと、達観などできない。

わたしも、あの世に行くのは20年後と思っているのは、終活・準備期間の猶予をカウントしていないので、
実は、25年から30年後と根拠なく楽観的に、胸算用している。
でも、案外15年後に、エンマさんからお誘いがあれば、「予定より早すぎてこころの準備ができないじゃないか」、と、わめきちらしそうだ。


人命だけではない。
モノの命、モノの寿命を感じ、別れを惜しむ気持ちになる。
自分が生きている今の間にじっくり、この20年間に、慈しむものや愛でるものは、しっかりと、悔いのないように、こころにすっぽり納めたい。
目に焼き付けたり、触って感触を楽しんだり、空間や空気を肌感覚で感じたり、匂いや光、音、温度など、五感を使って、ありとあらゆるモノの命を、自分の命と同時進行して大切に味わいたい。


人の命→自分の命ばかりを考えている。さすがの自己チュー。
よく考えると、家族との別れは悲しいはずである。
今のわたしの想像では、現世の人々との別れよりも、自分の命そのものがなくなることのほうが重大のようだ。

今までは、自分は生きたまま、自分ではない人がこの世を去っていく、自分の前から消えてなくなる経験が多く、寂しかったり悲しかったりしたが、
今後は、自分がこの世から去ることに重心、視点を移す。

自分がこの世からなくなった経験は、まだしたことがない。
自分がこの世からなくなると、したいこともできず、悲しいだろう。
今、元気でバリバリなんでもしたいことができるときなら、さぞやこの世から去るのは悔しいだろうけれど、
弱ってきていたら、バリバリの時ほど悔しくて悲しいことはないだろう。
なんの生きがいもなく、ただ生きているだけなら、早く次のステージに移りたいと思うことだろう。まして、病気で苦しみ回復困難となれば、一時も早く楽なところに行きたいだろう。


超高齢なのに、この世に未練たらたらの人は、今が楽しいからだと思う。
幸せであることの証拠のようなものだ。
なんでもそうだ。
パーティの真っ最中、ノリノリ状態の時に帰らなければならないと、ショックでしょんぼり、おもしろくなくて悲しいように。
ピークも過ぎ、人も帰りかけ、会場の人もまばらになり、そろそろお開きか、という、そのタイミングなら、納得することだろう。
楽しかった余韻だけが、じんわり残ることだろう。
キャンプファイヤーの残り火が消えていく過程で、胸がきゅんと切なくなるだろう。
消える瞬間は、心臓が止まりそうに痛いだろう。
でもまた、次のパーティがある。
が、高齢の人の場合は、もう先がない。

次回を期待せず、いつも、その時その時を最大に燃えて満足していれば理想である。
いつお迎えが来てもいいと思えるほど、充実の時を過ごせると、最高の人生だ。
が、そうはうまくはいかない。
思い通りにならないのが、人生だ。

20年後は、おそらく違うことを考えているだろう。
30年後は、きっと、なにも考えていないだろう。  


Posted by applause at 12:20Comments(0)

2017年05月09日

自分のために涙を流す

さて、いよいよ6月も半ばである。月日がたつのは早い。
先日、細君を亡くした同僚が出勤していた。

「無理しないほうがいいぞ」
「仕事をしていると気が紛れるんですよ」

その気持ちはわかる。僕もそうだったから。男の子だもんな楊海成
ただし、故人のためにも、自分のためにも
悲しみに打ちひしがれる時間というのが必要なのだ。
しっかりと涙を流しておかないと、あとでウツになる。
僕は涙を流せなかったクチだから
そのあとの感情の消化に苦労した。
悲しみを受け止め悲しみを洗い流す心の浄化は必要なんだぜ。

僕は基本的に頑張ることを是とする人間だ。
だから、どんな時も頑張りたい。
頑張らなくていいなんて言えない男だ。
頑張ることを止めた時は世捨て人になる時と決めている。
さすがにまだ、世捨て人にはなりきれない。
でも、そういう自分だからこそ、
自分のために涙を流すことが必要な時もあるんだ。
欲求不満のボンボンが映画を見て泣けたなんて
嬉しそうに言うのは好きではない。涙で陶酔できない楊海成
でも、涙をごまかしてはダメだよ。悲しいと言う感情を
封じ込めることなく消化するということだ。

その細君を亡くした彼はひょうひょうとしている。
僕の目にはそういう男こそ危なっかしい。
どこかでポキっと折れてしまうんだ。

「3年。3年は、どんなに悲しくても、根性で頑張るしかない。
3年の間、後悔や突然の感情の荒波、いろいろ出てきて止めようもない。
でもな、3年すぎると、楽しかった思い出が、美しく甦ってくるようになる。
おれはそうだったよ」

慰めにもならない言葉を接いで彼へのあいさつとした。

思えば、永遠の別れと共に、僕の沖縄通いが始まったのだった。
水納島に渡り、誰もいない砂浜で
「ウォ!ウォ!ウォ!」と大きな声で吼えていたこともある。
(気味悪い男やろ)
吼えるくらいしか、感情の捨て場がなかったからな。
時はそこは東村だったり、国頭村したけどね楊海成
吼えるのは、井上靖の『北の海』の影響.
けっこう好きな小説です。  


Posted by applause at 13:01Comments(0)

2016年09月13日

おや、未入金。。。。

 引っ越してきてから、未だに光熱費は振込用紙で払っている。

 電気代ガス代水道代、だいたい毎月の支払金額が分かってきたところ肝纖維化

 検針の人が来て、使用量から次回の請求額をプリントアウトして、郵便受けに入れていく。後日、払込用紙が郵送されてくる。

 ガス代のお知らせが、今日、入っていた。見て驚いた。請求予定額が、先月の倍くらいある。

 上から順番にしっかり読むと、先月分のガス料金が未入金になっていて、その分を合算した請求予定額になっていた。だから、2ヶ月分。

 なぜ、未入金なんだ。先週末にコンビニで支払ったじゃないかbioderma 卸妝水

 請求サイクルは、今日、検針があったとして、支払い用紙が送られてくるのがだいたい2週間後。支払期限は。その2=3週間で、先月分の支払いの期限までにはまだ数日ある。

 つまり。支払期限の前に検針に来て、未入金だから次回の請求に乗せるよ。というお知らせになる。

 とりあえず、コンビニで祓った先月分が本当に未入金なのか、確かめる必要がある。支払いをしたことが反映されていないだけなら、いいけど。

 一人暮らしだから、世間的には少額かもしれないが、支払ったのに支払っていないことになっちゃあいけない孕婦飲食

 明日、電話してみるか。。。。  


Posted by applause at 12:24Comments(0)

2016年08月04日

富士宮やきそばを食べながら。

 山梨県甲州市へ行った。

 滞在二日目。

 青木ヶ原樹海にある鳴沢氷穴と富岳風穴へ向かう。

 宿から出てしばらくすると車は山道にはいり、右に左にくねくね走る。ようやくくねくねが終わったかと思えばまたはじまり、山を下っているのか、登っているのかわからない。これほどくねくねが続くというのに

、車酔いしないのは運転する夫に命をあずけているという緊張感からだろうか。が、後部座席の娘たちはくねくねにも気づかず、目を閉じているDR REBORN呃人

 

 くねくねの終わりは青木ヶ原樹海のはじまりでもあった。

 鬱蒼とした木々が道路の両側に広がる。その奥行きはどれほどなのだろう。自殺の名所と知られる青木ヶ原樹海であるけれど、実は遊歩道があり、キャンプ場や公園もある観光地なのだそう。

 しかし、道路沿いの茂みからは、戻ってこられなくなることがわかっているのに、はいってゆきたくなるような、深い森の不思議さが漂う。

 いつもゆく公園程度の木々ならば、茂った葉が気持ちよい木陰をつくり、マイナスイオン効果ありがたや、なんぞと喜んでいるというのに、整備されぬ自然にはただただ怖気立つDR REBORN投訴

 

 下へ、したへ降りてゆく鳴沢氷穴、横へ続く富岳風穴を歩き終え、富士宮市に向かう。B級グルメ富士宮やきそばを食べようというのだ。

 国道139号を南へひた走る。

 突然、いや本当は突然ということはないのだろうが、大きな、おおきな富士山が左手に現れた。山梨にきてから、遠くに(といっても東京のわたしの住むまちからみえる富士山より、はるかに近いけれど)その形を

見てはいたが、目前にそびえたつ富士山はただただ、大きく、美しく。威風堂々としたその姿はたしかに日本一の山なのであった。

そこにあるだけで、静かにされど圧倒的な存在感を示す富士の山に、なるようにしかならないのだという、自然の威力を見せつけられた気がして、その姿から目が離せなかった。同時にこうも思ったDR REBORN投訴

「よく、この山に登ろうなんて思うよね」

 夏の富士登山者は増えているようだけれど、わたしはその大きさに圧倒されて、登山など考えられない。まあ、頂上から見る景色がどんなものか知らずにいるのも惜しい気はするけれど。

 

 それにしても、畏敬の念を感じずにはいられない雄大な富士山の、そのすぐそばで暮らす人たちは、この有りようをどう捉えているのだろう。

 富士宮やきそばをつくるお母さんと息子らしき二人の姿をみて、そんなことを思う。  


Posted by applause at 11:09Comments(0)

2016年07月15日

言語感覚

 「崖から飛び降りる」。これは、私には自殺ないしハングライダー。「決意」という意味であるなら、「清水の舞台から」でないと日本語にはならない。と、思うのだけれど・・・。
 久保の兄貴の記事の中にアウトサイダー=部外者、なんか変? ということが出てくる。兄貴の翻訳では「はみだし者」「はぐれ者」。私も兄貴と同感である認股證 行使價
 なんかこういう言語感覚の人たちはあんまり信用しない。日本語として変だし、もし、彼らがそういう風に考えているのならば、「こちらの微細な脳内の精神世界」を理解できるとは思えない。
 ブーツストラップさんの記事の中に、どきっとするフレーズ。すいません、私なりに勝手に要約してしまいます。「運のいい人というのは、日毎宝くじを買い、ちっとも当たらず平穏な日常を送っている人なのでは

ないか」というコードが出てくる。私は涙が出るほど感動したのである。「運のいい人」は私なりに「幸福な人」になる。「毎日毎日、ピアノに精進しているのに、ちっとも当たらないジャズピアニストの平穏な日常

」。すっ、凄いっとマジで実感体感したのである窩輪到期

 私は仮面ライダーでも、キカイダーでも、三ツ矢サイダーでもなく、もちろん、マグマ大使でもミラーマンでもない。そっ、アウトサイダー。この中に世間への超複雑な怨念と超自我超自負と超卑下の・・・、もう

、煎じ詰めると人生全体、生きていること、人類史、ホモサピエンス、弥生時代へと複雑な気持ちがテラノザウルスする。

 「えっ、イサオ。あーーー、インサイダーの中じゃ、結構知られているよ」。フ
リージャズメンは全員アウトサイダー。アウトサイダーのインサイドってなんなの? 部内者? ちゃうちゃう、「仲間」。徒党を組まない一匹狼がたまたま一緒にいる。一匹狼同士の「逆」仲間意識は強いのかも。

リムジーンドライバーたちもそうだ。そして、一匹でいる野郎ほど、我々は尊敬する。半端じゃねぇー、はぐれ者って。座頭市みたいな感じかしらねぇー、楽器持った。そっ、音楽用語のバンドって「群れ」という意

味だから、私は使わない權證。  


Posted by applause at 11:23Comments(0)

2016年06月27日

1か月チャレンジしたことの成果

ご訪問ありがとうございます。あなたの物語応援ライターの ささきまりこ です。

この1か月、ある企画のチャレンジャー3人のうちの1人に選ばれてしまい、日々自分と葛藤、奮闘、挫折の繰り返しをしておりました。

それにも関わらず、自分の思ったとおりの成果がでないまま本日結果発表となりました。

発表会場に到着し、1か月ぶりに会った他のチャレンジャー2名。
1か月どうだったのかと聞いてみると、2人ともそれなりの手ごたえを感じているようでした水解蛋白
私から見ても2人は自信満々で……この時点で私はきっと最下位であると思い、1か月の自分の至らなさや甘さを反省していました。

そしていよいよ発表です。
気が重いまま、舞台の上に立つと……
なんと私が1番成果を出しておりました!!

自分でもびっくりです。

1か月、毎日少しずつ積み重ねてきたことがちゃんと成果になっていたとはこの瞬間までわかっていませんでした。

帰りの電車の中で、小さなこと一つ一つがいつの間にか大きくなっているものなのだなぁ……としみじみと実感しておりました嬰兒濕疹

自分にとってはたいしたことがないと思っても、毎日やっていることが確実に変化や成果となっているのだと思うと他のことも少しずつ頑張ろう!って思えました。

気が付けば、このブログも毎日コツコツと約9か月にもなっています母乳餵哺

ご家族への食事の準備、会社でのお仕事、毎朝のウォーキング……など、そういったことがみなさんの力となっているのだと思うと、一日一日が素晴らしいと思えませんか(*^^*)  


Posted by applause at 12:38Comments(0)

2016年06月06日

むかしむかしのきょうのぼく

ひーくんと話していて思い出した。
今はもう全っっ然なんともないから大丈夫なのだけど。

昔は「口が利けなくなればいいのに」と思っていたのだ。言葉なんて傷つけるだけだしと。何を言っても、言わなくても、どうせ届かないのならば、声に出したところで仕方ないだろうと。でもある人が、美しい言葉で手紙を送ってくれた瑪沙 閃肌水光槍。それを読んだときに、なんだかおかしな表現なのだけれどでも心から、ああ、自分は人間で良かったなと思ったのだ。
言葉を解する生き物として、この世に生を受けてよかったと。

例えるならば、谷川俊太郎の「ほほえみ」という詩のようなことを考え続けていた日々だった。氏は著作権に厳しい方なので、引用は避けてさらっと内容だけ。
空は、微笑むことができないから雲を浮かべるけれど、人は微笑むことができるのに、微笑みで人を欺く瑪沙 去斑聚光槍。そういう。失望、じゃないけれど。悲しみとも違うな、諦めともつかない。なんだろうね。
誰かを恨んでいたわけじゃない。人を恨んだことは一度もない。いつも、堪えるのは自分の不甲斐なさとか、醜さとか、ままならない心に打ちのめされてばかり。自分の心なのにね、一番、扱いに難儀している。

あの頃に見上げていた空が、今思うと一番、美しかったような気もする。
人生って不思議なものだ。

とか、そんなことを懐かしんでいた折、不意にこの曲が脳裏をよぎったので。リリースされた当時はまだ、最後の雨音の意味がよく解らなかったのだけど、今はこのフレーズ以外にはありえないと感じる瑪沙 射頻瘦面槍
雨って優しい。

……と、きれいに終わらせてもよかったのだけど、以下はおまけ。笑。
せっかく人間に生まれたのだから、声を弾ませたい気分の日もあるさ。
しっかしサキと戯れている自分の声は絶望的にキモイな……誰だよこのチャライあんちゃん……  


Posted by applause at 11:30Comments(0)

2016年04月12日

どこも騒がしい




イタリアン・ブロッコリーのブロッキーニ・パープル。(長い)
 名前の通り、かなり紫がかっていて、茎まで柔らかく食べられる。味は、普通のブロッコリーと変わりないかな。

 昨日のキューピーおばあさんの話で思い出したけれど、最近のショッピングモールにあるフードコートはどこも面積が広くてテーブルや椅子も多く、少々騒いでも目立窗口式冷氣機比較たず、お子さんの居る人には便利なようだ。
 そういう場所じゃないところで一休みしようと思ったら喫茶店などがいいのだけれど、最近のショッピングセンターのようなところにあるカフェはカフェで、なんだかオープンすぎて落ち着かない。

 どの席を選んでも、常に外を通る買い物客から見物されているような気がしてしまう。ガラスの檻の中のパンダみたい。まあ、それでも長居している人はしているし、ガラス一日立東芝冷氣比較枚挟んだだけの外向きのカウンターに座って、すぐ目の前を通る人のことも気にせず勉強している人もいるから、気にする方が気にし過ぎなのかもしれないけれど……。

 これが外であればまだいいのだ。
 知っている人がいそうな場所だからこそ気になるんだろう。

 以前は買い物のついでに寄ってのんびりできる場所がreenex cps價錢あり、コーヒーを飲んで一休みしつつ、静かに本を読んだり考え事もできたのに、このごろはちっともそういう場所が見つけられない。
 どこに行っても用だけ済ませてせかせかと帰る。  


Posted by applause at 12:19Comments(0)