2017年05月09日

自分のために涙を流す

さて、いよいよ6月も半ばである。月日がたつのは早い。
先日、細君を亡くした同僚が出勤していた。

「無理しないほうがいいぞ」
「仕事をしていると気が紛れるんですよ」

その気持ちはわかる。僕もそうだったから。男の子だもんな楊海成
ただし、故人のためにも、自分のためにも
悲しみに打ちひしがれる時間というのが必要なのだ。
しっかりと涙を流しておかないと、あとでウツになる。
僕は涙を流せなかったクチだから
そのあとの感情の消化に苦労した。
悲しみを受け止め悲しみを洗い流す心の浄化は必要なんだぜ。

僕は基本的に頑張ることを是とする人間だ。
だから、どんな時も頑張りたい。
頑張らなくていいなんて言えない男だ。
頑張ることを止めた時は世捨て人になる時と決めている。
さすがにまだ、世捨て人にはなりきれない。
でも、そういう自分だからこそ、
自分のために涙を流すことが必要な時もあるんだ。
欲求不満のボンボンが映画を見て泣けたなんて
嬉しそうに言うのは好きではない。涙で陶酔できない楊海成
でも、涙をごまかしてはダメだよ。悲しいと言う感情を
封じ込めることなく消化するということだ。

その細君を亡くした彼はひょうひょうとしている。
僕の目にはそういう男こそ危なっかしい。
どこかでポキっと折れてしまうんだ。

「3年。3年は、どんなに悲しくても、根性で頑張るしかない。
3年の間、後悔や突然の感情の荒波、いろいろ出てきて止めようもない。
でもな、3年すぎると、楽しかった思い出が、美しく甦ってくるようになる。
おれはそうだったよ」

慰めにもならない言葉を接いで彼へのあいさつとした。

思えば、永遠の別れと共に、僕の沖縄通いが始まったのだった。
水納島に渡り、誰もいない砂浜で
「ウォ!ウォ!ウォ!」と大きな声で吼えていたこともある。
(気味悪い男やろ)
吼えるくらいしか、感情の捨て場がなかったからな。
時はそこは東村だったり、国頭村したけどね楊海成
吼えるのは、井上靖の『北の海』の影響.
けっこう好きな小説です。  


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